Volume 5 ユーモアは国境を越える? ユーモアのセンス マイケル・リース:皆さん、こんにちは、8月号のCultural Crossroadsへようこそ。マイク・リースです。 アン・スレーター:アン・スレーターです。 マイケル:今日のトピックは、ユーモアです。ユーモアの定義って何だろう? アン:そうね、これもまた、いろんな見方があると思うわ。まず一つは、誰かがユーモアのセンスがある、と言うときは、その人が面白いということよね。 マイケル:そうだね。 アン:笑わせてくれるのよね。 マイケル:そのとおり。つまり、本質的に人を笑わせること─それがユーモアにほかならないんじゃないかな。 アン:それと、自分自身のことを笑うことができるのも、ユーモアの本質になり得る…… マイケル:そうだよね。 アン:……と思うのよね、誰かにからかわれても、腹を立てずに、たださらりと受け流すの。 マイケル:そうだよね。だけどユーモアって、国を越えていろんな文化のユーモアを見てみると、ものすごく違うことがよくあるよ。アメリカのユーモアは本質的に、何が基本になっていると思う? アン:一つには、アメリカ人はジョークを言うのが好きだと思うわ。 マイケル:なるほど。 アン:イギリス人はジョークを言うのは好き? マイケル:ああ、好きだよ。 アン:そうよね。だけど日本では、私が暮らしてきた限りでは、(アメリカやイギリスほどは)あまり(ジョークを言う人を)見掛けないわ。 マイケル:うん。 アン:つまり日本の人は、楽しみの一つとしては、それほどジョークを言わない傾向があるのね。 マイケル:言わないね、でもだからといって、日本人にユーモアのセンスがないというわけではないんだ。まったく反対だよ。でも…… アン:そうじゃないのよね、ユーモアのセンスが違うのよね。 マイケル:まったく違うんだ。 アン:そう、だけどアメリカ人はある種、注目を浴びるのがすごく好きなのよ…… マイケル:そうだね。 アン:ジョークを言うことでね。ハハハ。それに……それと、もう一つ私が気付いたのは、アメリカ人は自分のジョークを笑いたがることがよくあって、だけどイギリス人はもっと、そうじゃないわよね。もっとさりげない…… マイケル:イギリス人もそういうのを「さりげない」と表現するって言おうとしてたんだ…… アン:……(ドライな)タイプの話し方よね? マイケル:……話し方、ユーモアだってね、そうだね。 アン:だから、ユーモアの多くが、自分は笑ってないけど、ほかのみんなは笑ってる、という状況になるのよね。 マイケル:そうなんだ。 アン:それともう一つ、興味深い違いは、日本だと時々、かしこまった場で、そうね、例えば、社長がスピーチをしているとすると(社長の状況は)、ジョークを言うのにそんなにふさわしいとは考えられていないわ。 マイケル:そうだね。 アン:一方、アメリカでは、そういうケースをよく見掛けるの。 マイケル:うん。 アン:なんというか、アメリカ人はその場の雰囲気を和ませる方法の一つとして、ジョークを言うんだと思う…… マイケル:なるほど。 アン:……みんなをリラックスさせるために、あるいはたぶん、自分自身がもっとリラックスするために。だからあまり心配しないのよ、「これはかしこまった場かな、それとも砕けた場かな?」ってね。イングランドではどう? マイケル:ああ、イギリスでもほとんど同じ感じだよ。最も改まった状況においてさえも、時に、ユーモアの要素を見掛けることがあるよ。 (訳:鈴木香織)