Volume 10 「自然の愛で方」それぞれ 花と庭と アン・スレーター:皆さん、こんにちは。Cultural Crossroadsの3月号へようこそ。アンです。 マイケル・リース:マイクです。 アン:また皆さんとご一緒できて、とてもうれしいです。さあマイク、今月のトピックは何かしら? マイケル:ほら、3月号でしょう、つまりもうすぐ春だよね、春といえば、花が思い浮かぶよね。例えば桜とか。そういう訳で、今日は花とかガーデニングとか、そういったきれいなものについて、いろいろ話そうと思います。 アン:そうね、そういう話をするにはもってこいの時期よね。日本で面白いことの一つは、花が本当にたくさんあることだと思うの。もちろん、ほかの国にも花はたくさんあるわ。でも、例えば花の咲く木、というような意味でね。初めて日本に来た時にそれに気付いたのを覚えてるわ。私が育った所では、ここで気付くほど多くないもの。 マイケル:そうだね、イギリスも同じだ。初めて日本に来ると、それがかなり、印象的だよね。 アン:ええ、そうね。面白いことの一つは、思うに、人が日本の庭園を思い浮かべるとき、つまり西洋人がということだけど…… マイケル:うん。 アン:……彼らが思い浮かべるのは何かしら? 簡素な感じ、禅宗の簡素な石庭よね。  マイケル:そうだね、石と砂の庭園で、すごくすっきりした配置を思い浮かべるかな。それと多分、盆栽も西洋人が思い浮かべる、日本の典型的なイメージだね。 アン:それと、美的感覚がすごく違うのよね。すごく違うから、例えばアメリカの人は、石で庭園が造れるなんて考えもしないでしょう。 マイケル:そうだね。 アン:石は庭園の一部にはなるかもしれない。そう、それで、花を植えて、石とか砂利みたいなものを入れたりする。でも物事の見方が全然違うのよ。それに日本だと、普通はすごく丁寧に刈り込まれているでしょう? すごく完璧な庭園になっているの。すべてがきれいに整えられて、きちんと形作られているのよね。 マイケル:そうそう。 アン:ここでもまた、そういった美的感覚に従って。 マイケル:日本人には自然に対する特別な鑑賞力があるという考え方もあるよ。一方で、実のところ彼らが求めるのは、その管理(された状態にする)ということなんだ。すごく独特なやり方で(自然を)意のままに操って、整えたいんだ。理想的な自然を作り出すかのようにね。それに比べてイングランドでは、今の庭は、もうちょっと自然に育つままにしておくことが多いと思うな。もちろん、イギリスの庭園の歴史を振り返って見ると、庭園がすごく形式的に整えられて配置されてた時期もあるんだけどね。当然、日本の庭園とは全然違うやり方だけど、当時の人たち独自の美的感覚があったんだ、今はもうあまり見掛けないけど。 アン:それと、私が思うに、もし間違っていたら訂正してほしいんだけど、植物をいわば自然のままの状態にしておく伝統的なイギリス式庭園もあるんでしょう? それは……? マイケル:そうだね、もちろん庭園のサイズに応じての話だけど、でも大規模な庭園になると常に、言ってみれば、植物をちょっと自然のままに伸ばしただけの区域があるだろうね。そういう所には鳥が集まって来るし、チョウや昆虫も集まって来る。もっと自然な環境になっているから、僕自身はすごくいいな、と思うんだ。どちらかというと無機的な、形式ばった庭園は、あまり好きじゃないなあ。もうちょっと野性的な方が好きなんだ。それにその方が、必要になる庭仕事もぐんと減るしね。 アン:そうね。 (訳:鈴木香織)